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PRODUCTION
NOTES

プロダクションノート

企画の成り立ちと原作

偶然なのか、必然なのか。まみずと卓也が出会うべくして出会い、お互いの人生を輝かしいものへと変えていったように、映画『君は月夜に光り輝く』もさまざまな運命的なめぐり合わせが重なり、生み出されている。
原作は佐野徹夜氏のデビュー作にして、第23回電撃小説大賞(KADOKAWA)《大賞》受賞作。すでに原作はシリーズ累計50万部を突破するベストセラーとなっているが、まさにその誕生の晴れの場、2016年11月に開かれた贈呈式に本作のプロデューサーがたまたま出席していた。これが、原作と映画の出会いのきっかけとなった。
作品の内容におおいに興味を示したのが、『君の膵臓をたべたい』(17)をはじめ、『となりの怪物くん』(18)、『センセイ君主』(18)、『響 -HIBIKI-』(18)など話題作を多数手掛け、青春のまぶしさと切なさを生き生きと活写してきた監督・月川翔。作品により深く向き合い、また“代行体験”が織り成すファンタジックにして臨場感あるドラマと映像を作り上げるべく、今回は月川自らが脚本も担当している。青春映画の系譜にあって、人の命を扱った物語ということでは『君の膵臓をたべたい』にも連なるところがあるが、その魅力に通じながらも、本作ならではのテーマ、メッセージがそこにはある。
「『君の膵臓をたべたい』が描いていたのは〈生〉。一日の価値はみんな一緒で、人が生きることは人と人とが関わり合うことなんだということに触れている。一方で『君は月夜に光り輝く』は〈死〉を描いている気がするんです。死に直面しない人はいない。死とどう向き合って、どう乗り越えていくのか。限られた命の中で生きた密度が人生を輝かせると訴えていて、死がきちんと描かれている作品なのに前向きな力強さがある。伝えるべきものがある作品だと思いました」(岸田一晃プロデューサー)
そして月川も、「あらすじを読むと“肌が光る病気の話”と思うかもしれません。しかしこれは“命の輝き”を描く物語です。命が終わろうとするときに、新たな始まりを見つける光のような」とコメント。
また本作は、今の時代だからこその物語で、輝きを放ってもいる。
「まみずと卓也にしても、作品に触れる今の若者にしても、必要以上の触れ合いに恥ずかしさやリスクを感じているところがある気がするんですよね。でも目の前の相手を放ってはおけない。卓也はボランティアをしているわけではないけれど、好きな子のために何かするというよりも、〈献身〉と言ったほうがフィットするのかなと。オフビートな中にある、どこかイノセントな献身というのが時代とマッチしていて、だからこそ原作も支持を得ているんだろうなと思います」(春名慶プロデューサー)
死という普遍的なものを扱いながら、さまざまな意味でその先にあるものに触れた、新たなる青春純愛映画。その時代感覚、メッセージ性とテーマ性においても、「今ここにあるべき一作」が誕生したと言えるかもしれない。

キャスティングとクランクイン

本作がクランクインを迎えたのは、2018年10月7日。栃木県足利市にある高校を借りて、教室のシーンから撮影は始まった。ファーストカットは、北村匠海演じる岡田卓也が寄せ書きを託される、映画冒頭の場面。ちなみに撮影場所の高校があったのは渡良瀬川沿い。ヒロイン・まみずの苗字との符号はまったくの偶然だったという。
その渡良瀬まみず役の永野芽郁も追って撮影に参加。病室にいるはずのまみずが登校してきて、卓也に声をかけるシーンが収録された。永野と北村は同じ事務所ながら、今回が初共演。しかし芝居は息が合っており、マッチングの確かさを感じさせる。
ふたりの起用について、「永野芽郁さんは、この原作を読んでいる時期にCMでご一緒して、イメージにピッタリだと運命的に感じ、出演オファーしました。北村匠海さんは『君の膵臓をたべたい』で信頼関係を結べており、真っ先に頭に浮かびました」と監督の月川は語る。天真爛漫な魅力の中、繊細な感情をのぞかせる永野が、死と直面しているまみずを演じた際にどんな表情、表現で魅せるのかというのも製作陣が期待した点。そして、そんな彼女が直面する死と真摯に向き合う卓也に必要とされたのは、純粋な存在感と演技力。まみずと卓也を演じるのは永野と北村しかあり得なく、ふたりだから作り上げることができた映画であることは間違いない。
永野と北村ふたりのシーンの撮影が始まる。月川に、「自分の考えるまみずの一番普通なテンションでやってみました」と話す永野。学校には来ることができないはずのまみずが、当たり前のように教室にいて会話をする。だからこそ切なさが際立つというのは月川の狙いどおりであって、ここからもすでに永野がこの作品と役柄をつかんでいることが分かる。そしてそんなまみずを見て、涙を流す卓也。北村は撮影初日からいきなりの泣き芝居だ。「これは成長を見せなきゃいけないな」と意気込んだと北村は語るが、微調整を踏まえてテイク3でOK。見守るスタッフ陣の心もとらえた。
撮影は11月8日から富山でのロケがスタート。同地・射水市にあるオフィス施設でまみずの病室のシーンが撮り進められた。この地での撮影の肝となったのが、屋上でまみずが卓也に最期の代行を頼むシーンだ。すでに衰弱している中で、懸命に自分の思いを伝えようとするまみず。衰弱のため言葉が途切れ途切れになってしまう分、永野は全身を使いながら北村に訴え掛ける。死の訪れにおびえながらも、懸命にまみずを受け止めようとする卓也。北村の永野を見つめる目・表情には、言葉にならない言葉が確かにある。
気づけば永野の顔に、そして監督・月川の顔にも涙がつたっている。カットが掛かり、照れなのか達成感なのか、笑い合う永野と北村。笑い合い、そしてやはり泣いている。撮影前には無邪気にふざけ合っていたふたり。役柄をピュアに演じる芝居力、ふたりのイノセントな存在感が、現場においても作品においても透明なトーンを築き上げている。

クランクアップと主題歌

富山での撮影中、原作者の佐野徹夜氏も現場を訪問。セットの細やかさとキャスト陣の芝居に驚きを見せていたが、ここにもめぐり合わせの偶然が。なんと昔からの友人と同級生が本作のスタッフに入っていたのだ。これに佐野氏が驚いたのは、言うまでもない。
11月13日、永野と北村は同日にクランクアップを迎えた。北村のラストカットは、病室を訪れた卓也がまみずの胸に抱かれて想いをお互い口にするシーン。撮影の合間、手をつないだ体勢のまま自然と指相撲を始め、笑い合っていたふたりだったが、そんな自然な空気感が本番でのまみずと卓也の自然な情愛・情感にもつながったのだろう。永野のラストカットは、まみずと彼女のことを大切に想う両親とのシーン。ここでまみずが両親に手を繋がせ、3人でその手を重ねるというのは現場で永野が出したアイデアだ。監督の月川は、演じ手のその時々の気持ち、考え、思いをくみ取りながら撮影を進めていく演出をする。そのうえで目指すべき画、語るべきドラマを組み立てていくが、この永野のアイデアに大きくうなずいた。「台本でイメージしていた以上に、役者さんのお芝居を見てこういうことなんだと感じ取るものがあった作品でした。現場のエモーションを大事に、ぶっつけ本番でやらせていただいた部分もあったので、スタッフにも感謝しています」と撮影を振り返った月川。それに応えるよう、まみず同様、永野も女優としてそのきらめきを最後まで現場で見せつけた。
撮影が終わったところで北村も加わり、本作はオールアップとなった。終始、笑顔を見せていた永野だったが、女性スタッフの涙に「つられちゃう」とポツリ。スタッフの拍手の中、監督から花束が贈られた。
病気で肌が光り輝く話ではなく、命が光り輝く話。それは月川はじめキャスト陣も語っていたことだ。永野や北村はもちろん、甲斐翔真、松本穂香、今田美桜、優香、生田智子、長谷川京子、及川光博が演じるキャラクターたちが、まみずと卓也を見つめながら、ひたむきに前に向かって生き、それぞれの命の輝きを放っている。
そしてそんな本作を彩るのがSEKAI NO OWARIが手掛ける主題歌「蜜の月 ‒for the film‒」だ。作品に寄り添えるまっすぐで研ぎ澄まされた純粋なメロディ、言葉を送り出せるアーティストということで、製作陣はSEKAI NO OWARIに本作の主題歌を依頼。ここにもまた出会うべくしての出会いがあり、楽曲制作期間中だったSEKAI NO OWARIサイドより、「このストーリーになら、この曲がぴったりなんじゃないか?」と提案。まるで書き下ろされたかのように卓也の気持ちを物語る歌詞の中には奇しくも「月」のフレーズが。小林武史によるアレンジも相まって作品イメージと符合した「蜜の月 ‒for the film‒」が本作のエンディングをより深いものとしている。
めぐり合わせはありながら、本作が今ここにあることは、決して偶然などではない。作られるべき作品で、観るべき映画。さまざまな縁が繋がり、本作は紡がれた。